船越 |
萩原修さんからのお誘いがキッカケで、ミキモト素(もと)プロジェクトに参加されたんですね。 |
菅野 |
そうだね。3年間続いたプロジェクトの、第1回目から参加してもらったんだよね。 |
船越 |
そのときは、どんな作品をつくられたんですか? |
菅野 |
そのときはね、素材を振り分けちゃったんだよね。学ちゃんにはステンレスをお願いしたんだよね。鋳物の。 |
大友 |
ステンレスの鋳物だよ?(笑) |
菅野 |
あはは。(笑) |
大友 |
そのころは何もわからないからね。 |
菅野 |
靴ベラだよね。 |
大友 |
はい。素材の組み合わせとかあまりよくわからないし。難しかったなぁ。 |
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菅野 |
プロダクトをデザインされてると、色んな素材を扱うことになると思うんですけど、新しい素材を扱う時は、どんな風に取り組むんですか? |
大友 |
まずは一通り見るよね。 |
菅野 |
デザイナーでも、色んな素材を扱えるタイプと、僕みたいにひとつの素材に絞るタイプに分かれるよね。(笑) |
大友 |
使えるかって言われると、うーん。広く浅い。あさーいかんじです。 |
菅野 |
そこは今日の神髄だよね。時代の違いからくるデザインの攻め方の違いみたいなものが明らかにあるじゃない。 |
大友 |
はい。 |
菅野 |
僕はね、学ちゃんは素材を料理するというよりは、行為を料理する時代の先駆者だと思ってるんだよね。 |
船越 |
なるほど。 |
菅野 |
僕の時代は、ただカッコいいデザインを求められた。それが、工業製品として製造に乗っかるところまで含めたデザイン展開をすることで、お金をもらえるっていう時代だったんだけど、それがやっぱり変わってきたじゃない? |
大友 |
うん。 |
菅野 |
今みたいに、生活のシーンと行為に対して、どういう素材がいいのかっていうことになると、素材についてそんなに深く突き詰める必要もないのかなって。 |
大友 |
僕は工業からきた人間じゃないので、とりあえず理解できる単純なところから手をつけないと、どうにもならないわけですよ。いきなりプラスチックの射出成型とか、金属の押出とか言われてもパッパラパー。(笑) |
菅野 |
あはは。(笑) |
大友 |
奇跡ですよ。 |
船越 |
奇跡ですか。 |
大友 |
奇跡です。 |
菅野 |
なぜ奇跡が起こったのかね。そこには理由があると思うんだよな。じゃないと、ここまで活躍できないはずだよ。 |
大友 |
それはちょっと、自分では何とも。覚えてないんですよ。20代のことは覚えてないし、30代から今までのことはもっと覚えてない。(笑) |
菅野 |
えぇっ?(笑) |
大友 |
何があったかなぁ。 |
船越 |
江戸意匠はミキモトのもう少し後ですか? |
菅野 |
ミキモトが終わってからだよね。しょっちゅう会うようになって、色んなことを話して。 |
大友 |
あの頃、ずっと銀座にいましたよね。 |
菅野 |
ずーっと銀座にいたね。ミキモト、三越、東急ハンズ。(笑) |
大友 |
ずーっといましたね。 |
菅野 |
それからだよね、密に付き合うようになって。でも一番はやっぱり江戸意匠で色んなサポートを完璧にこなしてくれたっていうことかな。 |
船越 |
江戸意匠では学さん、ディレクションもされてますよね。 |
菅野 |
アートディレクションね。 |
大友 |
ディレクションというか、グラフィックをやらせてもらって。 |
菅野 |
あの「江戸意匠」っていう名前も、彼がつけたんだよ。 |
大友 |
そうでしたっけ? |
菅野 |
そうだよ。(笑) |
大友 |
そうか。 |
船越 |
江戸意匠は3回やられましたよね。 |
菅野 |
ルベインと、東急ハンズと、三越。3年くらいかな。 |
大友 |
そうですね。 |
船越 |
江戸意匠でのお互いの作品は、どう写りました? |
菅野 |
印象的だったのは、僕と学ちゃんと大島邦昭君が、錫光の中村圭一さんと一緒に錫をやったんだけど、デザインの攻め方が三者三様で全然違うの。その違いがすごく明確に見えたな。 |
船越 |
菅野さんがつくられたのは、松竹梅ですよね?
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菅野 |
そう。学ちゃんが醤油差し。大島君が丸い茶筒だったよね。
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大友 |
デススターです。(笑)
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船越 |
デススター? スターウォーズの?(笑)
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大友 |
いや、ほんとにデススターみたいなんですよ。ちょっと傾いだ加減がデススターみたい。(笑)
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菅野 |
大島君のデザインはフォルムから入る。きれいなデザインだったよね。
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大友 |
はい。きれいでした。
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菅野 |
学ちゃんは絶対に液垂れしない醤油差し。形の根拠みたいなものと、行為みたいなものに根ざしてる。
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大友 |
そうですね。
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菅野 |
僕は、錫という素材が水を清めるっていう切り口でいったんだよね。
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大友 |
職人がつくったっぽいモノじゃないモノをつくりたかったんですよね。職人の手による工業製品的なモノを、失礼な話ですけどつくらせてみたかったんです。
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菅野 |
なるほどね。実は僕、あのとき図面を書いてないんだよね。
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船越 |
えっ? 本当ですか? ミリ単位にこだわる菅野さんが図面なし?
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菅野 |
うん。錫光さんのところへ行って、その場でスケッチを描いたかな。竹はこういうイメージ、松はこのイメージ、梅はこうって言って、あとは錫光さんの力におまかせして、そこから松竹梅が生まれたの。新規で金型を起こさないように、有るものの中で使えそうな金型を選んで、その中でどんな形ができるかっていうことを2人で相談して、あとはおまかせ。
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コンマ数ミリのズレも見逃さない菅野さんが、図面を書かなかった衝撃発言に続いて、江戸意匠で学さんがデザインした純銀製のクリップが登場。純銀のクリップですよ。
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