大友学

大友 学(デザイナー)
バンタンデザイン研究所卒業後、数社の社会経験を経た後フリーランスとして活動を開始。デザインコンペ等への出展を
足がかりに独学でデザインの経験を積み、2008年ガクデザイン株式会社を設立。生活に関わる道具全般のプロダクトデ
ザインはもとより、企業ロゴや商品パッケージ、ブランドコンセプト企画・プロジェクトディレクション等を手がける。
2011年、クリエイティブ領域を更に拡げることを目的に商号を株式会社スタジオ(stagio inc.)に変更し現在に至る。

株式会社スタジオ www.stagio.co.jp

第1話 就職する気にならなかった。

船越 今日はよろしくお願いします。
大友 お願いします。
菅野 よろしく。
船越 まず、簡単にご説明させていただきますと、大友学さんはもともとバンタンで菅野さんの教え子でいらして、卒業した後独立されて、菅野さんのプロジェクトにたびたび登場されて大活躍されていると。
菅野 そうだね。
船越 お二人の関係は、そう簡単に語り尽くせないものだとは思いますが。
大友 そうですね。
船越 まずは学さんがバンタンを卒業して、社会人になられた後、独立した頃の話から伺ってもいいですか?
大友 独立のきっかけは、就職する気にならなかったっていうだけですね。(笑)
船越 でも就職して仕事されてましたよね?
大友 はい。してました。
船越 そこは、何かあるんですか?
菅野 社会に順応性がないってことに、自分で気付いたんじゃない?(笑)
大友 うん。そうですね。(笑) 卒業してから2ヶ月くらい、当時付き合ってた彼女のご実家で、ずっとぷよぷよをやってまして。
船越 それは、ゲームの?
大友 そうです。2ヶ月たった頃、彼女のお母さんに
「若いんだし、そろそろ元気に外で働いたら?」と。
船越 諭されて。
大友 うん。「それもそうだなぁ。」と思って。
船越 はい。(笑)
大友 それで、シモンガビーナジャパンというイタリアの家具メーカーの日本支社に就職して、家具の設計を始めました。
船越 なるほど。
大友 当時、お給料が非常に薄かったんです。お金がないから、スーツ1着、無印良品のボタンダウンシャツ2枚、ネクタイ3本がルーティーン。
船越 はい。
大友 しばらくすると、靴の親指の付け根のところに丸く穴が開いちゃって、雨が降ると靴下びしょ濡れみたいな。
船越 はい。(笑)
大友 靴がそんなだから靴下もすぐ穴開くわけですよ。ま、靴下でアスファルト歩いてるみたいなもんですからね。(笑)
菅野 あはは。(笑)
大友 そしたら社長に
「お前、かわいそうだから靴買ってやる。」って5,000円渡されるみたいな。
「5,000円かぁ。」 みたいな。(笑)
菅野 すごいな。(笑)
大友 僕としてはあまり苦ではなかったんですけどね。
菅野 うん。
大友 その後、同じ会社で働いてた設計のおじいちゃんが前に務めていた、フォルムインターナショナルっていうインテリア設計事務所に転職しました。
菅野 あ、就職したの?
大友 はい。
菅野 あ、そうなんだ。全然知らなかった。
大友 主にIBMのオフィスとかダイエーとか、高度成長期に日本に進出してきた外資系のオフィスの設計をしてる会社で、そのとき初めてAuto CADを覚えて。
船越 なるほど。
大友 そこで事務所内一CADが早い男になって。その後、学生時代にバイトしてた飲食店の社長に呼ばれて。
菅野 うん。
大友 新しい事業を始めるんだけど、給料は今以上を保証するからちょっと手伝ってくれって言われて、ガシャガシャ・チーンってお金に釣られて行くわけですよ。
船越 はい。(笑)
大友 ま、今「以上」はイコールのことだったんだけどね。(笑)
菅野 ありがちな。(笑)
大友 その新しい事業っていうのが、飲食店のプロデュースみたいなことで、僕にグラフィックをやってくれと。1人グラフィックデザイン部長。そこから、独学グラフィックデザインの道が始まるんだけどね。
菅野 でも、学生の頃からグラフィックは秀でてたよね。だってさ、失礼な話だけど、プロダクトデザイナーじゃなくてグラフィックデザイナーになったら? って言ったことあったもんね。
大友 はい。そうでしたね。
船越 もともとそういうスキルがあったんですか?
大友 絵を描くのは好きでしたね。
船越 はい。
大友 それで会社を辞めて、旅行に行って。
菅野 旅行?
大友 僕、旅行に行きたかったんです。(笑)
菅野 うん。(笑)
大友 会社を辞めた次の日から6日間くらい北海道に遊びに行ったんです。マーチっていう小さい車を借りて、ユースホステルを周りながらの超強行旅行ですよ。釧路から小樽まで、昼夜走りっぱなしですよ。ずーっと。車中泊したりして。
菅野 それは辛いでしょう!?(笑) 一本道だし。
大友 かなりでしたね。(笑) それで帰って来たんだけど全然足りなくて、当時ロンドンに友達がいたから、今度はロンドン行きを計画するんですよね。
船越 なるほど。
大友 マレーシア航空だったんだけど、ドバイ経由でイスタンブールに入って、そこから1ヶ月半かけて陸路でロンドンまで行ったの。
船越 陸路!? トランジットじゃなくて?
大友 そうそう。(笑)
菅野 語学は?
大友 いや、まったくだめですよ。ぴくりとも喋れない。
船越 そのときは、つまり無職ってことですよね?
大友 無職。旅行に行きたくて会社辞めて、リュック1個背負ってた。(笑)
船越 いや、お見事です。(笑)
大友 トルコが楽しくてね、時間使いすぎちゃったりして。(笑)
菅野 よく帰って来たね。(笑)
大友 ブルガリアからユーゴスラビアに入って、旧共産圏を北上してオーストリアに行って。
菅野 それはデザインの肥やしになった?
大友 ならないですね。(笑)
船越 何歳くらいの頃ですか?
大友 23歳。僕、留学したかったんですよね。RCAも見たかったし、100%デザインも見たかった。ヨーロッパのデザインがどうなってるのか知りたくて、ベルリンとかアムステルダムとかパリを見たりしたんだけど、けっきょく東京の方がおもしろいなっていうことになって。
菅野 なるほど。
   
  かなり自由奔放だったんですね。続いて学生時代のお話を伺います。当時、菅野さんは先生、学さんは学生。学さん、どんな学生時代だったんですか?
第1話 就職する気にならなかった。
第2話 デザイナーの追っかけ時代。
第3話 行為を料理する時代の先駆者。
第4話 伝統工芸の手法でつくる工業製品の代表的なモノ。
第5話 表向きは金。裏を返すと、デザイン大好き。
第6話 クリエイトもするし、エディットもする。
第7話 どんなデザイナーよりも、菅野さんのことを知ってる。
第8話 プロダクトにグラフィックを取り入れた走り。
第9話 デザインにできること。
第10話 最近のお仕事。